https://ameblo.jp/moonfromforest/entry-12843282238.html
これを今日、何気無く読んだら、心にグッと来ました。
引用しますね。小学校1年生の男の子が書いた作文です。
「佐藤 亘紀(さとう・こうき)くん
茨城県古河市立古河第二小学校一年
第12回 日本語大賞 文部科学大臣賞 受賞作品」
『おとうさんにもらったやさしいうそ
ぼくのこころにひびい たことばは、
「おとうさんはちょっととおいところでしごとをすることになったから、おかあさんとげんきにすごしてね。」です。
そのときぼくは二さいでした。
とても小さかったのでちょくせついわれたのはおぼえていませんが、いってくれたときのどうががおかあさんのスマホにいまでものこっているので、すきなときにきくことができます。
このふつうにおもえることばがぼくのこころにひびいたりゆうは、じつはこれがおとうさんがついたうそだったからです。
このことばの一しゅうかんごに、おとうさんははっけつびょうでしんでしまいました。
そして、このことばをおとうさんがのこしたのはびょうきがわかってにゅういんした日でした。
おとうさんは、あえないあいだにぼくがかなしまないように、わざとうそをつきました。
うそはふつうよくないけど、これは、おとうさんがぼくのためについてくれたやさしいうそだとおもいます。
このことばをどうができくと、おとうさんにあってみたくてすこしかなしいきもちになります。
でもかなしいだけじゃなくて、かなしませないようにうそをついてくれたおとうさんのやさしさをおもって「がんばろう!」とおもえます。
おとうさんがしんでしまったことはしっているけど、おとうさんのうそがほんとうになって、いつかよるおそくにドアのまえで「ドアをあけて。かえってきたよ。」といっているおとうさんにあいたいです。
こうおもえるのも、おとうさんのやさしいうそのおかげです。
ぼくからおとうさんにつたえたいことがあります。「おとうさん、うそがばれてるよ! だってまわりにびょういんのどうぐがいっぱいあるし、おとうさんがよこになっているし、めからなみだがちょっとだけでているし、こえがさびしそうだから。」でもぼくは、だまされているふりをしつづけようとおもいます。
おとうさんがやさしいうそをついてくれたおかげで、ぼくのこころはつよくなれています。これからもおとうさんのことばをまもっておかあさんとげんきにすごしたいです。おとうさん、やさしいうそをありがとう。』
これをXで流れていたのを何気なく読み、グッと来ました。
わずか6歳ですが、自分を残して死んでいく父親の気持ち、優しさ、辛さも汲み取っている。
世間の大人は、「小さい子にはまだ何もわからんよ」とか「まだ言ったって伝わらないよ」とか思って、自分の子供や人の子に接してる人が大半だと思います。
そういった親子の感情の機微や繋がりよりも、
「習い事」や「勉強」を我が子に押し付け、それを教育と思い込み、
遊園地や観光地に連れて行く「レジャー」をすれば子供は幸せで、親の役目を果たしてると勘違いしてる親が何と多い事か・・
僕は、この作文を書いた男の子の様に、人の気持ちや事情を汲み取る優しさを育む事ができれば、
あとは、親が子に強いたり、期待してさせなきゃいけない事など無いと思う。
例えば、自分が白血病であと少しの命だとわかった時に、子供に伝えたい事は何か?
習い事や塾、レジャーでは無いはずです。
自分が生きてきて感じた事・想い、これから子供が出会う他人と災難やどう闘ったり、
自分が家族を作った経緯、どういう風に強く生きていくか?自分が体得した想いを伝えたいと願うと思います。
僕自身が難病だからわかるのですが、世の多くの人は、この命・健康・平和が永遠のものだと思ってる。
だから、残されたかけがえの無い時間と思わずに、毎日を惰性で生きている・・・
やれ、異性にモテない・裕福な暮しができない・ギャンブルするお金が無い、誰だれがムカつく・・・
そういう嫉妬や妬み、欲得で生き、我が子にもそれらを優位にできるために、お金の力で他力本願に習い事をさせて、それが教育と思ってる。
自分に自信が無いためと、子供を信じれないために、不安であらゆる習い事や塾に子供自身がしたくなくてもさせている親・・・
そういう親からは、この作文のこのような優しい人間は育たないと思いましたね。